例えばの話しで軽く想像しながら読んでみてね!
今日はあなたのお誕生日です。
たくさんの人がお花をプレゼントしてくれました。
なんかよくわかんないけど1,000人くらいの人たちが
プレゼントしてくれました!!!
おかげで、両手でも抱えきれないくらいの
巨大な花束になりました。
1,000人以上の人たちにもらった
花束はあまりにも
大きく、重たく、量が多いため物理的には
全てを抱きしめたり受け止めるができません。
もしここに「想像力」を総動員させてみるとどうなるでしょうか?
想像力(イメージ)は不可能を可能にする
「全て受け取りたい」という想いと
「ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいの時、
人は想像力を使えば
その全ての花を心の中で全部受けとることができます。
全部抱きしめることができます。
全部、自分の心の中にいれることができます。
なぜなら、想像(イメージ)の中では、
羽のように軽くすることができるし
どんなに大きくても多くてもそれ以上に自分が大きくなったりもできるからです。
物理的に出来ないことも
想像力と感謝と祈りの力が少しでもあれば
「受け止めることができる」
花はいずれ枯れてしまうけど、
心で受け止めた花は永遠に枯れません。
一瞬が永遠になります。
何日たっても何年立っても、一生色あせない。
プレゼントしてくれた一人ひとりと会ってはなすことができなかったとしても、一輪一輪の花の背景にあるストーリーを想像することができる。
それがたとえ合っていようとなかろうと関係ない。
想像して、感謝して、勝手に喜んで満たされることができるのだ。
想像力は一歩間違えば幻だらけの不安材料にもなりうるが、使い方次第では不可能を可能にしてくれる。
祈るということ
祈りというのは
想像して、心の中で全てを受け取ることとよく似ている。
私は
「世界平和を祈りなさい」
と言われても、抽象的すぎてあまり賢くない頭では理解ができなかった。
だから何が世界平和なのかがピンと来ず、祈ること自体が難しかったのだ。
しかし、受け止めきれない花束の想像をするようにして
まず自分の祖先を想像して祈ってみた。
次に家族や友人、身の回りの人達を想像して
ハッピーでいる姿を想像してみた。
そうしたらだんだん
その家族、
その友達、
そのご先祖様…と、
どんどん合ったことがない人の想像が
広がっていくことが感じられた。
会ったこともない人でも、笑顔でいる想像していくことが出来る事がわかった。
水不足が深刻で泥水を飲んでいるような地域に
まず、想像の中で新鮮な水を配った。
きれいな水で身体を洗って気持ちよさそうに
している人たちを想像した。
浄化施設を立てて、そこで働ける人を増やした。
就職して働く喜びを感じている人達を想像した。
そうしているうちに、
会ったこともない他人でも、幸せな様子を
無尽蔵に想像していけることがわかったし
私の心も不思議と安らぎ、
どんどん平和になっていくのを感じた。
世界平和を祈るって、こんな感じでいいのか・・と
自分で実感を持てるようになった。
そこまで来て、ようやく祈りの素晴らしさを感じた。
この光が届いたら幸せだし
届かなくても私の心は平和になるからだ。
正しい祈り方
鑑定などで「もっと祈りましょう」って言われたら
「どうやって?」
「正しいやり方を教えてください!」
「やってます!」
と思うかもしれない。
正しい祈り方なんてぶっちゃけ、ない。
「寺社や教会で何時間も真剣に祈るのが正しい?」
「家族の健康や笑顔を想って家事をすることは祈りじゃない?」
正しいかどうかは自分がどう思うか次第です。
人によって正解でもあるし、不正解でもあるのだ。
社会的な常識やルールをあてはめて判断すれば
正誤判断も出来るかもしれないけど、
結局目に見えないものなので、最後はその人の心次第です。
自分で感じること以上の真実なんて他にありません。
だから「祈りなさい」って言われてやりかたがわからなくても
「まずはやってみること」。
やってみないことには、どんなことにもたどり着けない。
昨晩からnoteもゆるっと再開しました。
目標は、役に立たないけど読んだら楽しいかもしれないエッセイを書くこと。笑
https://note.com/sedona_suki
noteやってる方、相互フォロー出来たら嬉しいです!
それではまた!
ありがとうございました!
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