スピリチュアルな力がある子どもを駄目にする親

とある知人からお話を伺い、
スピリチュアリズムの視点から

それは違いますよ

とハッキリ断言出来ることがあったので
今日はそのことをネタにさせてもらいます^^;

まず最初に、
今の時代に生まれてきている
子どもたちは、生まれ持って
不思議な能力をすでに
開花させているケースは
多いと思います。

 

私の時代の言い方でいうなれば、
「霊感がある子ども」
っていうことですね。

 

でね。

某知人のお子さんも、どうやら
そういう気質があるそうなのですが、

たとえそれが本物の霊感であったとして、
そのお子さんが何かを視たといったとしても、
お母さんがすることっていうのは

 

それを崇めたり、特別なことだと期待したり、

「他には何が見える?」

「オーラの色は何色?」

といった質問を子どもにして

言及することではない!!

 

それをしたら、

むしろいけない

とすら、私は思う。

そういうことをお話しました。

 

なぜかって?

 

 

 

 

 

子どもは、嘘をつくから

 

 

 

 

です。

 

お母さん(またはお父さん)が
目を輝かせて、
「うちの子はスピリチュアルな力があるんだ!
すごい!すごい!!」
って期待を寄せて、そのことについて
いつも話しをしてきたら、子どもは
なんて思うでしょうか?

 

絶対に、こう思うはずです。

 

 

「この話をすると、

お母(父)さんは

喜んでくれるんだ」

 

 

って。

 

そうすると、次第に
大人を喜ばせるために伝えよう
とするはずなのです。

話しをうかがった知人は、
しょっちゅうお子さんに
自分のオーラの色は何色?とか
人の心の声を聞いていたそうです。

けどそれは、親という立場の人が
することではありません。

 

余談ですが、その方のお子さんは
全員がみんな

  • お腹の頃の記憶がある
  • 生まれる前の記憶がある
  • 前世を覚えている
  • 見えないものが見える
  • オーラがみえる
  • 動物の声が聴こえる

と言っているそうです。自分から言いだしたの?って聞いたら、「聞いたらそう答えた」とのことです。

この話を家庭の外から聞いたら、
なんとなく察せられることがありますよね。

いくらスピリチュアリズムに親しくても
地に足はつけてないと、
兄弟そろってこういうことになってきたりもするんです。

 

もちろん、私たちは一人ひとりが
唯一無二の存在です。

それぞれが特別であり、
素晴らしい魂の存在であるという
自己肯定感は持っていることも重要です。
でなければ、
何かに付けて自己卑下をして
うまくいくものもうまくいかなくなって
しまうケースも出てきてしまうからです。

ですから、親が子に対して

「私は愛されている」と感じられるように
教え育てることも大事です。

けど、あんまりにも神格化したり
自惚れるような特別感を
植え付けてしまうように
扱ってしてしまうと、
いつか歪みが生じてきます。

先にも述べたとおり、
子どもは親の期待に応えようと
嘘をついたり、相手が喜びそうなことを
言うことがどんどん磨かれて
霊力を真の道に使わなくなるからです。

 

もしも、子どもが霊の存在を感じたり
実際に視たということを言ってきても、
親がすることは

それが何だったのか?
悪い霊だったのか?
それとも何かを伝えようとする霊だったのか?

と、真偽を確かめようとするより、
関心を持たないでおくことだと思う。

 

そして、もし子どもがおびえているなら
「私たちが追っ払うからあなたは大丈夫」
励まし、

外でその話しをしても、
みんなが見えるわけじゃないから
お友達が怖がったり、
おもしろがったり、
下手したらいじめられる可能性もあるかも
しれないのだから、おいそれと
そのことは話さないようにと諭し、
もうそれで終わらせればいいんです。

 

子どもがそれでまた
別の時に何かを視たと言ったら
話しを聞いてあげて、否定せず、それで終わらせること。

 

あんまりにも霊障がひどくて
手に負えないのであれば
霊能者のところに相談しに行くことも
必要かもしれませんが

そこまで行かない程度の
不思議な能力で済むぐらいだったら
関心を持たないのが一番大事だと思うよ。

親がミーハーになったらいけない。

 

そういえばそれで思い出しましたが、
たこやきちゃんは、幼い頃に
「あそこにおばあさんがいる」とか
「知らない人がさっき居た」とか
「人のまわりにきらきらがみえる」とか
言っていたんです。

オーラの色という概念はないから
うまく伝えられてなかったけど
現実のものとは少し違う
霊的な概念は本能的に知って感じていた。

それで、母にその事を言ったら

「お母さんにはそんな人みえないよ〜」

と、びっくりされ、

「弟や幼稚園の子は怖がるから、言わないであげて」

と諭されて終わりました。

そのあとに、
「今日は誰かいる?」とか、
「あのあとまたおばけとかみえた?」と
質問されたことは一切なかったんです。

けどもしもあのとき、別の日に
「お母さんのまわりにキラキラ見える?」
「おばけみえた?」
なんて聞かれてたら、、、、

十中八九、見えても見えなくても
「見える!」
と答えて居たと思います。

それでミーハーに
喜ばれたりでもしたら、また余計に
聞かれたら喜んでもらえることを言います。

ですがそういうことはほんとになく、
成人してからようやく

「あんた子どもの頃はよくおばけみてたんだよ。」

と言ってきました。笑

そのときにはすでにこの世界に
入ろうとしていた頃だったので、そこで
ようやく
「あ、やっぱりあの時のは他の人が気づいてないやつだったのね」
と繋がったわけです(;・∀・)

 

私は、母に対しては、
霊的なものを見聞きする子どもに対して
変にスピリチュアルな期待を寄せずに
黙って見守ってくれていた事に感謝しかありません。

だからこそ、視なくていいものを
視ないで済んでいた部分も大きいと思います。

 

親が子どもの霊能力に気づいて、
けどそれを神様のように扱ってしまったら
正直、子どものためにならない。

親子揃っておかしな方向にいく。
って、知人に対して喧嘩売ってんのかって
話しになるんですが、そういう
話しをハッキリしたので
大丈夫です(;^ω^)たぶんw

 

私たちは一人ひとりが
神様の子どもであり、分霊であり
すなわち神でもあるとも言えますけれど

神格化したらいけない。

 

霊的真理を理解しきっていない
浅い知識の中でスピリチュアリズムに
足を突っ込む親が、いっしょになって
「何が見えるのか」と見えない存在について
言及するのはただのミーハーだし、
自分の欲を満たそうとする行為であって
霊的な能力の開花とは到底言えません。

わたし、辛口かな??

(;^ω^)きついかな??

決して、怒ってるわけではないし
攻撃しているわけでもないんですよ。
ただクソ真面目に語っているだけ・・・

けどその知人に対しても
同じスピリチュアリズムを
学ぶもの、という立場からしたら
真理を持って厳しく問いたい部分なのです。

 

子どもは親にとって天使かもしれない。
神様くらい尊いかもしれない。

だけどそれで自分たちの欲求を満たすための
道具にしていないか?ということを問答してください。

 

もしもこれを読んでくださってる方で
お子さんがとっても霊的な能力がおありで
いらっしゃる事があれば

まず親として一番大事なことは
関心を持たずに見守ることです。

ミーハーになったらいけない。
子どもに嘘をつかせてしまう原因を
つくってしまうことになりかねないから。

霊的な能力が開花しきっていなくても、
霊的真理をしっかり学んでいけば
自ずと霊能力は目覚めていきます。

そのためには、上辺だけのちからに惑わされず
キラキラスピスピしたものに流されないことです。

 

 

というわけで、今日はつい
聞いた話しから展開してしまいました^^;

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

まったね〜

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