不安というものは人には絶対つきまとう。
いくらスピリチュアルを味方につけても、
完全に不安や恐れを取り払うことは出来ない。
そういう意味でスピリチュアルの出来ることは、
不安にとらわれて苦しい時間を減らしたり、
流れを知ってやる気をだすお手伝いくらいだと思う。
スピリチュアルも占いも、それをやれば絶対開運して
いいことだらけの人生になるためにあるのではない。
どちらも自分を知り、自分の宇宙を広げていくためのもの。
スピリチュアルを今よりもっと
他人軸でみていたころの私は、
不安とは闇の中でしか生まれないと思っていた。
けど真実は全く違った。
光の中からも不安は生まれるのが真理だと思う。
暗闇の中では相手も自分もわからず、
私とは一体何者だろう、という不安が生まれ
闇が晴れて明るい世界になったら今度は
人も自分も見えすぎて逆に
不安になるものなのだ。
そういう意味だと
光の不安のほうが闇より無自覚で厄介だと思う。
よく見えるからこそ、
自分と相手との「境界」が生まれ、
そこから他人との「比較」が生まれる。
比較は闇の中で自分を知ることから
逃げていた分、強くなる。
こうして説明してみると、
光と闇はそもそもどちらも対等である
ことが、おわかりいただけるだろうか?
光が正義で闇は敵だ、という捉え方をしていると
0か100かの考え方で、そこで終わってしまう。
勝手な決めつけで、片方を正しいとするだけの考え方。
それは人間として与えられた人生の中で
やるべきことを成していないともいえなくもない。
楽なんだろうけど、やっぱり人は
大なり小なり問答するのが1つの使命だと
私は思う。
だから光でも闇でも
結局どっちがやってきても人は
不安になる性質があることがわかったのなら、
今度は光と闇それぞれの役割について
それぞれがもたらしてくれることが何かを
自分なりにも考えてみたらいいと思う。
時代というのは常に変化している。
例えば、昭和の時代に良いとされていた考え方は
今の時代にあてはめても、時期が違うからうまくいかない。
けれど、そこに真理があれば
それは時代がめぐれば
また必ず必要とされる考え方であり
間違いでもなかったことがわかる。
安易に「違う」と決めつける前に
そこに真理を見出すことがすごく大事なんだ。
孔子と老子だって、どちらも真理を語っている。
だけどそれぞれ真逆の教えを唱えている。
ミクロとマクロも全くの真逆だが
どちらも正しい・間違いなどない。
そういう意味では、宗教なんてまさにその極みだ。
どっちが正しい、なんて考えたり主張して
争うのはそもそも「全」をみていない。
時代の変化は、時の流れとともに
あとから明暗でわけられるけれど
人の人生も全く一緒だ。
ずっと明るい状態が続くわけでもなく、
暗くなったり明るくなったりを繰り返す。
今の自分はどういう状況か?
今の自分は光か闇か?
そこを自分で知って、そして受け入れて進んでいく。
そのためのスピリチュアルが私は好きだ。
明暗という成長と進化を螺旋状に
繰り返しながら上昇していくような、
アウフヘーベンしたやり方が私は好きなのだ。
時代は今、暗い方だと思う。
けれどコロナ君がもたらしてくれたものは
今の自分の状態を受け入れるための時間。
今の自分の状態を受け入れるということは
不安を悪いものとせず、不安すらも紛れもない自分だと
信じて受け入れることだ。
自分が何者であるか、見たくないところを
嫌という程みさせられている。
そこをただ、淡々とやる。
今に目を向け、豊かさを数えて、何はなくとも
勝手に幸せであるのだ。
そうやって
自分を進化させて、土台をかためれば
明るい時代がやってきたとき、
自分も相手もハッキリ見えすぎても
自分を徹底的にみてきたのだから
少しは自信も持って進んでいくことが出来る。
暗い時代にどれだけ自分と向きあえていたか。
それが次の成長の速度にものすごい影響を与える。
光と闇は朝と夜と同じ様に繰り返す。
大きな意味でみたら
どっちが正しいかなんて本当はナンセンスなのだ。
朝が来てその日1日を突き進むためには
夜の過ごし方が間違いなく影響するのだから。
光の道を生きるには、
闇の中の自分を知ろうとすること。
時代的にも今は闇が強いんだってこと、
ちょっと知っておくときっとどこかで
活かせるとおもうよ。
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それでは、本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました〜!