目に見える「しるし」を欲しがっていない?

主イエスは言いました。

今の時代の者たちは、皆しるしを欲しがる。

だがはっきりいっておこう。

今の時代の者たちにはしるしは与えられない。

(マタイによる福音書12章38節)

2,000年前から、人類はたいして進歩していないのかもしれない。

今の時代のわたしたちにも、当然「しるし」など与えられようがありません。
霊能力が開花していようがいまいが関係なく。

 

このところ、自分自身のスピリチュアルが
いかに低レベルなのかを感じながら、生きています。

自己卑下をしているのではなくてね。
本当、もう何をブログに書いたらいいのか
わからなくなってしまって、最近ずっと
内観ばっかりしていました。
(ノートに思い思いのことを書き出す日々)

 

このところますます、

今の日本に存在する数多の
スピリチュアル的な発信の内容が、

いかに物質主義的な価値観が強いか

っていうことを、痛感するの。

 

「この人は本物だ!」

っていうのも、もううんざりです。

 

だって、霊界からのメッセージや霊視、
はたまたヒーリングなどをする者に対する
その人のその能力が本物かどうかは
霊界が決めることだと思うんですよ。

 

そもそも当たった、当たらない、
というところで
霊能力者を判断したりするのって
ほんと〜〜〜〜〜〜に
物質主義だなーって感じる。

そういう「◯◯さんは本物だ!」みたいな
評価って、

たとえばフィギュアスケートで、
トリプルアクセルが飛べれば称賛し、
トリプルアクセルに失敗すれば
「あの人はンタルが弱い」「もうだめだ」と
こき下ろすのにそっくりだと感じる。

常に完璧/満点を(自分は出来もしないくせに)
勝手に期待して勝手に評価するの。

 

あのね。

フィギュアスケート選手だって
霊能力者だって

同じ人間ですから!!

 

体調に波だってあるし、感情が乱れることもある。

ロボットじゃないの。

聖人君子じゃないの。

みんな未熟な魂だから、今おなじ現世にいるんでしょ。

 

それなのに、完璧を求めたり
本物だとジャッジしたり・・・

もうそういうのが、本当にうんざりで
そして、かくいう自分もそういう物の見方を
してきていたなという反省もありで、
ますますうんざりします(笑)

 

本当、人生現世とは学びの場ですね。

 

さて、冒頭にも書きましたが
主イエスは
「今の人はすぐにしるしを欲しがる」
おっしゃいました。

それは、つまり、
「わかりやすい形での答えや結果を欲しがる」
ということ!!

そして
「だがはっきりいっておこう、しるしは与えられない」
と続きます。別の言葉に言い換えると、

 

 

わかりやすい形で

答えや結果を求めたところで

そう簡単に霊界が

教えるわけがないよ

 

ってこと。自分で考えろ!ってことです。
(だから霊訓はまわりくどいし、わかりにくい部分もたくさんある)

ましてや、
「あなたは本物の霊能力者だ」
なんて高級霊が一人の人間を認めるために
降りて来るなんてこともありえない。

人の人生相談に乗る立場でいるなら
「自分は霊能力者である」っていう自覚は
当然必要だけど、霊能力を行使することに対する
驕りは一切手放さないといけない。

けど、そういうごくごく当然な
霊的真理・・・

 

つまり、「しるしを与えられない」という
私達の未熟さを前提に
スピリチュアリズムを説くと

 

 

かたい!!

きびしい!!

守護霊様から嫌われてるんじゃ!?

 

って捉えられる事も多いし
煙たがられることもあります。

だから、いきなりこういう真理の事ばかり話しても
世の中には浸透しないし、受け取ってくれる人も多くはない。

このブログ読んでくださってる方は
なかなかに稀有な方々なんですよ、ほんとに。

いつもありがとうございますね。

 

 

 

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