神様の声がわかる
っていうフレーズ。
「そうそう!わかるー!」って思える場合と
「はぁ?」って思う場合がある。
同じ言葉なのに、それをどういう意味で
使っているか次第で好き嫌いが真逆になる😂
わたしは、スピリチュアリズム(霊的真理)上での「神様」派でいたい。
↑ここで言う「神様」とは、摂理そのもののこと。
自然。愛。宇宙。意識。神我。源。
そういう意味合いでの「神様」です。
そしてそれは、「私」でもあるし
「あなた」でもあり、
全てがみな神です。
「私自身が神である」とは
ある意味当たり前。
いちいち誰かに伝えたり
宣言する必要がない。
(わたしは人である!なんて説明しないのと同じ)
そういう意味での
魂目線を生きている人の言う
「神様の声がわかる」
は、すごくわかります♡
そのとおりだなって思います♡♡
ですが、霊的真理の上での「神」観じゃない人。
神様を偶像化しているような、
『宗教的神様』の意味あいで
「神様の声がわかる」
とドヤってたり言ってる人を見かけると、
「はぁ?」となる。
最悪、
「頭だいじょうぶ?」
「何言ってんだ、ばーーか!!!」
って、直感的に思ってしまう。
同じ言葉なのに、ほんとーーにぜんっぜん違う😂!!
あとこれは
言葉を入れ替えて「守護霊」でも
同じように(はぁ?って)思うことがあります。
昔は私もよく
「守護霊様が○○するようにとおっしゃるので」
という事を言っていた。
それが、
今となっては違和感でいっぱいなのだ。
これは「守護霊なんていない!!」っていう
話しではないんですよ。
「私は人間だ」と思うのと同じくらいの感覚で
「守護霊様がいるのは当たり前」と思っています。
ですが
『宗教的神様』に近い扱いをした
守護霊には違和感を感じる。
神様も守護霊も魂の自分も、
外側から与えられる「お告げ」ではなく
自分の内側での「確信」。
神も守護霊も魂も、物質じゃないのだ。
目で見えないし
耳で聞こえない世界の存在なのだ。
本当に会いたいなら、
聞きたいなら、感じたいなら、
内側で繋がること。
「見えた」「聞こえた」で
大騒ぎすることじゃないんです。
「龍」とか「神社」とか「アルクトゥールス」
「エンジェルナンバー」「UFO」etc…
そういうことで大騒ぎしているの人を
たくさん見かけるけど、
騒ぐほどに真理(神)から
かけ離れていきます。
もしもそういった存在を感じたのなら、
「何か言われた!」
「何か与えられた!」
「何か見えた!」
「何か聞こえた!」
って大騒ぎするよりも、
まず黙れ。
目に見えない世界と繋がった時って、
『目に見えない世界』なのだから
そう簡単に言葉にならないし、
形にも出来ないよ。
だから黙って、
内側でじっくりじっくりとことん感じて、
そこで自分が思考したことも
丁寧にみてあげる時間が必要。
瞑想だって、黙ってるからこそ
内側に無限の宇宙を感じるのだ。
本当の自分(魂)には神と同じように
「境界」も「果て」もないことを感じるのだ。
ちゃんと自分の中に宇宙がある、
神がいると感じている人の
「神様の声がわかる」
は、本当にそのとおりだなって思うし、好き♡
そういうスピリチュアルが私は好きなんだった。
人はいずれ死ねば必ず
「そういうことかー!」って
わかることなんだけど、
私は生きている間から
「そういうことかー!」って、自分の中の叡智や
愛にたどりけるようになりたいな。
神様の声がわかる。
龍の存在が視える。
守護霊様が言ってることが聞こえる。
そういうことは、ほんとに聞きたい!わかりたい!って思うのであれば、まずは黙って自分の内側に広がる感覚を観察したほうがいいと思います♡