開運や体に良いこと以外を除外する人生、それで幸せなのだろうか

守護霊様やご先祖様といった
目に見えない存在からメッセージを
もらうようになってから、私の人生は
ラッキーなことしか起きなくなりました。

 

と、いう謳い文句を
以前まで言っていたかもしれないんですが、
(うろ覚え…)
(実際本当にそう思うこともあるんだけど)

今は、
それって上辺だけのキラキラした
客寄せのキャッチフレーズじゃないかなぁと
感じています。

どうしてかというと、

人生はやっぱり波があるのが当然で、
ラッキーなことしか起きなかったら
この世に生まれてきた意味がなくなるからです。

もちろん、

ラッキーなことのほうが多い人生

というのは在ると思うし
そうなれれば良いんだけど、

ラッキーな事しか起きない

っていうのは、逆に幸せとは
呼べないと思います。

 

私達の魂は、喜怒哀楽の区別なしに
なんだって喜ぶのが本質です。

 

ラッキーなことばかり、つまり
自分にとって都合のいいことしか起きない
人生になると、

自分が嫌だと感じることが減り
逆に自分の好き!が
わかりにくくなってしまいます。

自分の好きなことにも鈍感になると
自分の人生をどうしたいのかにも
気づけなくなり、

しまいには人に
「私は何をしたらいいのでしょうか」と
聞くようになるかもしれない。

はたして、それは幸せといえるのだろうか。
ラッキーだとしても幸せじゃなかったら、それってどうなんだろう?

 

それに、嫌なことや苦しいことも
経験するからこそ、
人の痛みにも気づけるし優しくなれる。

時代は常に移り続けているのだから
何歳になっても、ラッキーじゃない事も
経験していたほうが、
最新版の幸せに気付き続ける事が
出来ます。

 

「ラッキーなことばかり起きる人生」

 

を初めから狙うよりも、
もっと大事にしたいのは、

どんなことからも自分がどうしたいのかを
ちゃんと感じて、自らこの先の人生を
切り開いていくこと

です。

そうしていけば、もっと自分好みの生き方に
していけるし、本当の意味でラッキーな事が
増えていきます。

些細なことでも
喜びや好きなものごと、
美しさなどを自分でキャッチできたら
もうそれだけで勝手に幸せになり、
つまり「ラッキーだ」って
思えるようになります。

ラッキーだから幸せになれるんじゃない。
本当の意味でもうすでに自分が幸せだと気付いた時、ラッキーなことが増えてくるのだ。

健康面についても、以前はほんと
オーガニックとか無農薬とか
放射線量とかいろいろうるさく思っていて、

「除外」

っていう選択がすごく強かった。

その考え方でいくと、
コンビニもマクドナルドも敵だし悪だし
塩ですらマイクロプラスチックが紛れ込んでて
もはやこの世のどこにも安心安全なものはない。

心身ともに常に警戒モード。

そういう人は
とにかくいろんな方面に対して吠えて
「あれをやってない」
「これをやってない」
「あれしたらだめ」
「これしたらだめ」
と、批判意識がどんどん強くなるように思う。

 

自分で「これなら安心♡」って、見極められる目を
育てることってすごく大事だし、

持ってて損はないですが、
あんまりにも健康面でのジャッジに
うるさくなりすぎると、

やっぱり本来もっと自由でのびのびと
この地球を楽しめるはずだった人生が
葛藤や闘争だらけになって
しまうような気がしたんです。

 

そういう意味で、「世界対自分」の
意識が変わってきた今、
以前のように食べるものについてももっと
自由に楽しく美味しく幸せに
選択できるようになってきました。

だからといって白砂糖を
家に常備するようになったか?
というと、別にそういうわけでもないし、
けど「絶対だめ!!」がなくなったので、
すごく楽だし誰とも戦わなくて済むんですよね。

 

開運週間は続けたらいいし
体に良いことももちろんやっていったほうがいいに決まってる。

 

ただ、それだけに固執してそれ以外のものごとを
批判したり除外するようになっていたら
ちょっと立ち止まってみたほうがいいかもしれません。

 

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