霊視鑑定の匙加減を思い知る【浅草イベ御礼】

今日は癒しフェスティバル@浅草
お越しいただきました皆様、どうも
ありがとうございました!




この頃貢物でいっぱいです、もらってばっかりで恐縮です。
ほんとにありがとうございます〜〜〜〜〜〜〜

 

今日、ある相談者さんにも自分のことを
つい言ってしまったのでここにも書いておきます。

 

私はしばしば

 

自分には霊能力なんてものほんとにあるんだろうか?
霊視鑑定がほんとにできているのだろうか?

 

なんていう初歩的な問いに立ち返ることが
よくあるんです。

今朝、浅草に向かう電車の中でも
ずっと考えていました。

 

別に幽霊とか守護霊様方の姿形が
普段見えるわけでもないですし、
手から聖灰を出せるわけでもない。

この「物質世界」に於いて、

 

「ほら!」

 

って、わかるように何かを
見せてあげられるような
霊的な能力は、無いようなものです。

 

霊視鑑定では毎回本気ですし、
そこで見聞きして、皆様に
お伝えしていることは別に私の
妄想とかではなく確かに
見えない存在からのメッセージですが、
「精度の高い霊視」が
出来ていたのかどうかは、

結局相手がどう受け取ったか次第、

というところもあるので、

自分の実感や手応えとは異なる。
だからたとえ霊視が出来ていたとしても
その精度次第では「出来てない」と
いうことになってしまう可能性もある。

そういうことを考えて、
ほんとに自分は霊能力者なんだろうか。
そんなことを名乗る資格ないんじゃないか。

そういう疑問みたいなものが
浮かんでくることがあるんです。

 

霊視鑑定って、一体なんだろう。

 

そんなところにまで行きついてしまう。
そこで今日改めて思ったのですが、

私はやっぱり、霊的真理を広めたいし
鑑定を通してみんな一人一人が
魂の存在であることを自覚して
誰かに幸せにしてもらおうとするのではなく

魂として今すぐ勝手に、今があるだけで
もう喜びしかないし、幸せであることを
感じ取って欲しいです。

 

けど、霊的真理の話しは相手の
たましいのレベル(年齢)によって
受け取り方がほんっと〜〜〜に違う。

 

  • どうしたら今より収入が上がるのか?
  • どうしたらあの人が振り向いてくれるのか?
  • どうしたら彼は奥さんと別れてくれるのか?

 

そういう悩み相談ももちろんあります。
けど、そういう悩みからだとしても
霊視鑑定をきっかけにそういった

物質至上主義みたいな考え方の
この人間界の価値観だけに囚われた
悩みから早く抜け出して、

もっと広い視野で死生観や魂の学びについて
深く問答をしていくこと。

そうやって生きている間に
真理を学んで共に成長していくことが
私の場合は霊視鑑定の目的なんだな、と思う。

 

ただ、悩んでます、つらいです、傷ついています、という人に対して、ベホイミを私が唱えて「また傷ついたらおいで」っていうのではなくて、「ベホイミは、あなたが自分で唱えられるようになろう。そのために必要なことはね・・」っていうことをしたい。わかるかな?

 

もちろん、自分でも何も出来ない状態なら
そんなことは強要しないけど、

けどやっぱりきっかけとしていつか
「私もうじぶんでベホイミ使えるから大丈夫、次の呪文を勉強したいです」って
言えるようになってもらえたら嬉しい。

 

最初からこの話がすと〜〜んと通じる人もいれば、

は?ちょっと何言ってるかわかんない

って人もいるし、

理想だけ語ってても上手くいきようがない。

 

今日はほんと、霊視鑑定というもの自体の
在り方とその目的、

そして!

相談者さんに伝える言葉選びについて
本当色々思うことがある1日でした。

 

どうもありがとうございました〜〜

 

 

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