初めて一人旅で屋久島に行った時、
私はとても誇らしい
気持ちでいっぱいでした!
なぜなら、屋久島は
「呼ばれた人だけが行ける島」
とも言われるところだったから。
「そんな場所に、
降り立つことが出来た
ワタシ( ー`дー´)スゴイ」
と、
何だか自分が「選ばれし者」に
なったような…
自分すごいんだぞ!みたいな、
すごい上から目線な気持ちに
なっていました。笑
しかも、
トレッキングする時は決まって、快晴!
3度も縄文杉を見に行っていますが、
一度も雨に降られることが
なかったんです(^o^)
▲縄文杉。当時のガラケーでの撮影^^
でね。
屋久島にはなぜか3年連続で
毎年行っていたんです。
なので、行けば行くほど
「また島(神様)に呼ばれた私〜♡」
「他の人と違う特別な私〜♡」
「選ばれしもの、私〜♡」
って、ドヤりをさらにパワーアップ
させていたのでした(;´∀`)www
マジで今ならぶん殴りたくなるような
勘違いなんですが、
その当時は本気でそう思っていた。
なぜなら、
自分は選ばれし者で在りたい
という承認欲求が
どちゃくそに強かったから。
▲2009年、屋久島に初上陸。この時自分の中で「空港」の概念が変わりました。
スピリチュアリズムの観点から
まず先に事実からお伝えしますと、
別に呼ばれてない
です。
島(神様)側からしてみれば、
あなたが自分で
来たんでしょ
私は門を
開けているだけ
なんですよね(;´∀`)!!
神様はね、
君は選ばれしものだから
私の元に呼んであげよう。
君にだけ特別な運を
授けてあげよう。
なんてことしないんです。
神社や聖地などに
足を運んだりして、
気持ちがハイになったり
不思議な経験をしたりすると
神様に呼ばれた=自分は特別
的な、選民意識を刺激される。
そうなると
- 呼ばれた=いいこと
- 呼ばれた=特別
- 呼ばれた=選ばれしもの
- 呼ばれた=勝ち
…みたいになってくる。
逆を言えば、自分の中に
良い悪い判定や
勝ち負け意識があるから
「呼ばれた」「選ばれた」を
いちいち言い放ちたくなるのだ。
▲これは屋久島二度目の時にみた夕陽。
もちろん、
屋久島でも伊勢でもセドナでもどこでも
「呼ばれた」と思ってもいいし
言葉を使ってもいいんですよ^^;
見えない力が働くことを否定している
のではないの。
行こうとしても、どうやっても
たどり着けない時もあるし、
逆に、不可能だと思われていたことが
奇跡の連続でたどり着ける時だってあるから。
それはそれで、霊界からの
働きかけがあるということ。
そう受け取ればいいと思う。
私もあなたも、
奇跡の連続が起きて
この世に生まれてきたし、
今もこうして生きています(^_^)
みんな、全員、等しく
神の一部です(*^^*)
自分だけが特別なのではなく、
み〜んなそれぞれが特別なのだ♡
だから自分だけ特別扱いされた
というアピールはほんっと〜〜〜に
意味のないこと。
(だってされてないもんw)
スピリチュアルスポットへ
足を運んだのは、
大いなる存在が自分達だけを特別扱いして
呼び寄せたのではなく
そこへ行きたいと願いを放った自分自身の、
内なる神が「そこ」から呼んだ。
=そこに行きたいと思った自分がそこから呼んだ
ってこと。
神様や守護霊様とは、
やっぱりすべて「内側」で
感じるものなんですよ♡
オマケ。屋久島でみた至近距離の野鹿。
「ほんとにバンビみたいな柄してる!」と感動しました。
鹿が増えすぎて野山がツルッパゲになってしまってるので
駆除して鹿肉を観光名物として売り出してるんだ〜
なんて話しを、民宿のおじさんがおしえてくれたなぁ。
(鹿肉より猪肉のほうが個人的には好きです)